北茨城・五浦海岸を見つめて。企画展「東西のバルビゾン コロー、ミレー、大観、春草」

展覧会ニュース

【茨城県】先週の金曜日から、北茨城市の天心記念五浦美術館では「東西のバルビゾン コロー、ミレー、大観、春草」が開催されてます。会期は、2015年10月18日(日)まで。

*こちらの展覧会は会期終了しております。


via:(六角堂 / gonsee)

五浦を東洋のバルビゾンに

本展覧会では、天心が19世紀フランスのバルビゾン派の画家たちが集った村になぞらえ、「東洋のバルビゾン」と称した五浦で、新しい日本画の創造を目指して切磋琢磨をした4人の画家の五浦時代の代表作、大観の「流燈」、木村武山の「阿房劫火」 などとともに、コローの「ヴィル・ダヴレーの湖畔の朝霧」や、ミレーの「垣根に沿って草を食む羊」をはじめ、ドービニー、トロワイヨンなど、天心が言及したバルビゾン派の油彩画、素描、版画を展示します。(美術館サイトより

4人とは、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山。その4人の代表作とともに、岡倉天心が言及した19世紀フランスのバルビゾン派を代表するコロー、ミレー、ドービニー、トロワイヨンの油彩画、素描、版画も展示。

日本近代美術の父

岡倉天心(おかくら てんしん 1863-1913)

美術行政家・思想家。横浜生。本名は覚三。東大卒後、文部省に入り、美術教育・調査保存にあたる。明治17年フェノロサと鑑画会を結成、新日本画の開拓に努め、美術調査員としてともに渡欧。明治23年東美校校長となり、帝国博物館理事等を兼任、この間美術誌「国華」を創刊。また日本青年絵画協会及びその後身である日本絵画協会を組織した。のち公職を退き、橋本雅邦・横山大観・菱田春草らと日本美術院を結成した。(コトバンクより

日本美術院は1898年創立。東京美術学校校長を排斥というかたちで、辞職した岡倉氏を中心に創設されました。

日本美術院の再建

岡倉天心は、経営難に陥っていた日本美術院の再建を図るため、明治39年(1906)、東京の谷中から茨城県北部の 五浦海岸に日本美術院第一部(絵画)を移転し、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山を呼び寄せました。(美術館サイトより

しかし、当時の岡倉氏はアーネスト・フェノロサの紹介でボストン美術館中国・日本美術部に入っており、五浦とボストンを往復するうちに同院への興味を失っていったそうです。

やがて、1914年(大正3年)、文展(文部省美術展覧会)に不満を持つ、横山大観や下村観山らは、前年に岡倉が歿したことを契機にその意志を引き継ぎ、日本美術院を再興したとのこと。(引用元:Wikipediaより)

ちなみに…
そんな日本美術院創立に携わった岡倉天心の生涯は、竹中直人が演じ、映画にもなっております。(映画「天心」公式サイト

インフォメーション

会場名:天心記念五浦美術館
住所:茨城県北茨城市大津町椿2083

美術館サイト

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